すごいのかどうでもいいのか

  鍼の世界には凄い治療家がいる。独特な治療理論があり、技術は半端なく上手い(ように見える)。患者は治ればいいからそんなの関係ないし、同業者からしたらいったい何をしているのか理屈はわかっても(わかったような気がしても)納得できない、そんな治療がある。

 そうするとその名人先生は神のように同業者から崇め奉られ、流派といわれる一大勢力が形成される。

 なんだか凄そう、死人がよみがえった、どこに行っても治らないのを治しただの尾ひれがつき始めて人が集まってくる。この場合の人とは患者だけでなく治療家も含む。むしろ治療家のほうが多い。

 もうね、すごいのよ。鍼を打つという行為。ドクターXの大門先生のような鋭い眼光で、炭治郎くんのような全集中でなんか型があるらしい。一本の鍼を打つのに何分もかかってる。

 患者さんはそういうのに弱いんだよね。治療かもね。すごい!って。

 名人先生の症例報告を聞くと、名人先生の治療のせいというよりいろんなバイアスがかかっているし、ほかの要因が介入しているせいでよくなっているようにも見えるんだが、神には逆らえない。

 この世界の悪いところは「わかんないと神格化」してしまうことだ。

 悩める患者には神となる治療家が必要であると同時に、確実に改善させる治療が必要。しかし治らない病気のほうがいっぱいある。

 治療家はわかんないことを神格化せずに神と戦ってほしい。今の鍼灸界は戦わなかった成れの果てだ。

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