今日の三策塾

松邑先生の「脳性小児麻痺患者に対する指圧療法」、久しぶりに手技療法の症例だった。
関節拘縮、筋緊張、癲癇発作や感情失禁があり、意思の疎通のできない患者さんに、最初は怖がられながら治療を始め、徐々に術野を広げてって、数ヶ月後には喜んでくれ、次の治療を楽しみにしてくれるようになるまでのドキュメンタリーだった。

治ったとか、癒しだとか、そんなことは問題じゃない。彼のする治療が、施設の中で毎日単調に暮らす患者さんの希望の光になるかもしれない、そんな報告だった。

後半戦は、新保先生のお悩み相談室だ。誰かの相談を受けるんじゃない、新保先生の悩みをみんなに聞いてもらうっていう、思い切った企画。スゴイ!

新保先生が最近金沢情報に鍼灸院の広告を掲載した。整体やカイロなど無免許者がはびこるあの情報誌だ。
新保先生の意図は、情報誌担当者に免許資格があることを知ってもらうこと、鍼灸マッサージとカイロや整体が違うということを知らしめるために行ったのが一つ、
もしもみんなが同意してくれるのなら、鍼灸マッサージの広告でこの情報誌をいっぱいにし、無免許者の広告を排除しようというものだった。

広告についてはちょっとタブー視されているところがあるようで、あまりみんなの反応がよくないのだが、今回のディスカッションは盛り上がった。

新保先生の2つ目の意図はいともあっさりと否定された。我々が広告を埋めても、情報誌はページ数を増やして無免許者の広告を掲載するだろう。

1つ目の意図に関しては、新保先生のお話に対して担当者がどう考えたのかは不明。ただ、商業広告紙だから、免許があろうがなかろうが、広告料を払ってくれるところに敬意を払う、ただそれだけのこと。
儲かればどこだってイイってことだろう。

宮川先生や他の先生がおっしゃってたように、広告に無免許者との差別化を図るための、免許取得者であることを明記するような広告内容にすべきということ、

これは実に我々サイドの言い分であって、情報誌サイド(前出の儲かればいいというスタンス)であれ、消費者サイドであれ、なんらこだわりはないだろう。
消費者は自分の病気がどうしたら治るか、どこへ行けば痛くなくて気持ちの良いことをしてくれるかを探している。
つまり、我々の思い(免許云々)は宣伝・広告を媒介にしても全く伝わらないだろうということだ。

オレがいいたいのは、リラクゼーションサイドにすり寄ることなく、医療サイドでものを言っていくのが我々の資格を生かす宣伝方法だということ。

それに気づかないうちは、無資格者対策などやっていても鍼灸マッサージの需要を喚起することはできない。

典型的な例が「鍼は痛くありません」「灸は熱くありません」って鍼灸師自身が自分の仕事に制限をかけていることだ。
マッサージにしても言えると思う。気持ちのよい施術で病気を治す。関節拘縮は気持ちよく治せるの?
変形徒手形成(字が間違ってたらゴメン)やトリガーポイントの不活性化を目的とするマッサージや持続圧迫は痛くなくできるの?

熱い灸もあろうし、響きの強い鍼もあるだろう。病気を治すためにはある程度の覚悟と忍耐が必要なんではないだろうか?

弱い刺激が補で、強い刺激が寫なんて言ってる人がいるけど、うそ。
お灸を100壮する補もあるし、即刺即抜で感じない鍼の寫もある。

それを可能にするには、患者さんとのラポールを作り上げること、信頼関係を持つこと。

医師の治療と無免許者のすることの中間に我々の仕事があると思う。
無免許者と張り合うことのむなしさに気づかないか?
もっと自分の技術を向上して、医療とコミュニケーションしながら治療を行うことにプライドを持とうと思わないか?
そのために業団は仕事をすべきだ。

新保先生の広告の話からちょっとそれたけど、
オレとしては、情報誌に広告を出そうとは思わない。新保先生のしてることを否定した訳じゃない。いろんなやり方があってしかるべきだ。問題提起してくれたことに感謝している。

今までやらなかったことややっても成果が上がらないことがいっぱいあって、広告の問題もそうなんだろう。我々のやり方で再チャレンジしてみるのも無駄じゃないし、意義のあること。
で、結果を残して次につなげよう。

コメント

人気の投稿