昨日の研修会雑感
6月7日(日)は研修会の日。毎月第一日曜日は加賀・三策塾という研修会がある。
今回予定していた大学病院勤務の先生にご不幸があり急遽内容を変更せざるを得なくなり、
自分ともう一人の先生におはちが回ってきた。
いい機会だから、2週間あとに予定している岩手での講演に使う症例報告をモデファイして発表した。
オレの言いたかったこと、みんなにわかってもらえただろうか。
常々、こういったケーススタディには明確なメッセージが必要だと思っている。
nがいっぱいある集積報告やRCTだったらそれなりの結果(科学的根拠のある)が期待されてちゃんとした結果が示される。
ケーススタディは著効があったとか珍しい症例だとか、そういった特徴のあるものが選ばれる。そこには一般化できないけれども聞いててタメになる情報がある。
その際発表者つまり治療した人がどう考えたかが重要になる。
明確なメッセージとは、それを聞いた人たちが今後の参考になるようなものでないといけない。
オレの報告は聞いた人が鍼灸っていいなぁ~と思えるようになるものを報告しているつもりだ。
もちろん失敗例もあるけれど、失敗したって鍼灸がいいって思えるものを選んでいる。
どう思って治療したか。何を根拠に治療したか。何を改善させるべく治療したか。
東洋医学ってあまりにもそれらの根拠が明確ではない。
患者の訴えていることが何から起こっているのか。それに対処するためにどこのツボに何をするのか。
その辺の考察を鍼灸師がすると、東洋医学の世界だからこその不確かさによってごまかされてしまう。
治らないものに対していくら努力をしたってそれは無理なんだ。治るか治らないか。治らないにしても何がよくならなくて、何が楽になるかを判断することが大事。
今回は運動器や痛みの疾患については理学所見と病歴が重要になるよって話をしたつもり。トリピーの話もしたけれど今症例ではあんまり重要ではない。
そこにはいわゆる東洋医学的な所見はない。必要ないから。
東洋医学的考察は脳の遊び。スペキュレーション。空想。
東洋医学的所見には再現性とか確実性がなさすぎる。
わかってない人が多すぎる。
逆に何で治ったかもわからないのが東洋医学。どうにでも説明できる。
もう一人の先生の症例報告の時、そんな質問が出た。「経絡で言うと何に該当する?」
それを決めてどうする。その見立てで改善しなかったらきっと別の経絡だと診断を変えるんだろう。
結局確信がない。だったら最初っから全部治療した方がよいではないか。
それを言うとすねてぐれちゃうから言わないけれど、全く鍼灸師ってヤツはどうしようもない人種だ。
オレもそうだけど。そうなりたくはないと思っている。
「曰く言い難し」の世界。
それを言い易しの世界にしてほしくない人たちがいっぱいいる。
全部は無理かもしれない。できることを少しずつやっていけばいいと思う。例えばお血のように。
先日、多留先生にお会いして「鍼灸の神髄」なるお話をお聞きし、自分のしていることは間違いないと確信を得た。
思いの外、簡単なところにその神髄はあって、それがわかれば鍼灸で治るか治らないかもわかるようになる。
わかる人だけに伝えていこうと思った昨日の研修会。
次は何をしようか。
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