ある日曜日

10月28日に奥村三策先生没後100周年記念講演会を、(社)石川県鍼灸マッサージ師会主催で金沢エクセルホテル東急で行う。東北大学の関先生が来て、震災での鍼灸マッサージの活躍についてお話してくれる。一般の人が対象で、入場無料。

そこでオレが奥村先生について10分だけど、話をすることになった。

墓参り。奥村先生の墓前で、そうだ報告をしよう。


雑司が谷霊園。

東京へ来たついでに。いやいや、墓参りのために東京に来た。うん。

数年前、石川県立盲学校教諭の松井先生が奥村先生の伝記を本にしている。そのご著書にあった霊園内の6という番号を手がかりにしらみつぶしに探せば見つかるだろうとたかをくくって、霊園に来た。

あいにく朝から東京は雨だった。


念のため雑司ヶ谷霊園事務所で尋ねたが墓の場所はわからないとのこと。

キーワードの6を手がかりに探すが、霊園内の番地は例えば1-2-3とか数字3つで表されていて、「6」一つの場所はない。さっぱりわからない。

雨はひどくなってくる、斎場にお参りに来る人の車がどんどん多くなってくる。お彼岸の日曜日だ。

2時間探したが見つからない。番号と全然関係ないところも足を伸ばしてみたが、霊園がでかくて見当がつかない。

一度お参りしたことがあるって言ってた石川県鍼灸マッサージ師会の常盤会長に電話して聞いてみたが、電話ではうまく伝わらない。カトリック?十字架のある墓の近くっていうヒントをいただいたが、いたるところに十字架の墓はある。

さあ、こまった。かれこれ2時間、雨の中うろついている。車の誘導しているおじさんにジロジロ見られてる。怪しまれとるかも。


パソコンの入ったバッグを担いで、折りたたみのこぶりな傘をさして(バッグはびしょ濡れ)、行ったり来たりしているスーツで革靴のおっさんだから。

もう帰ろうか。疲れた。せっかく来たんだしもう少し。そんな感じで探すともなく霊園内をさまよっていた。

霊園の外に出てはまた中にはいりお墓の間の細い通路をあてどもなくさまよう。疲れた。アタマがまわらん。雨もひどい。パソコンの入ったバッグが雨で濡れて重い。スーツの袖やスラックスの裾も雨を吸って、重い。

もう帰るか。目の前に駅に続く道がある。あの道を右に曲がれば駅か…。その道にでる手前で右を見る。駅を見るつもりで。



あった!


そこにあった!


探してたお墓が、そこに。



頭真っ白になった。


偶然?なにこれ。どうなってる。

なんでだ?こんなところに探してたお墓があるの?



6という数字とはまったく関係のないところに、奥村先生の墓はあった。墓石は大きくない。眺めていても見つからないようなこじんまりとしたお墓。でも風格がある。


小さくてもびしっとまっすぐ。まわりには先生のご家族の墓石。

しっかりとお参りをし、またご挨拶しに来ますと約束して霊園をあとにした。



今度は晴れた日に花を持ってこようと。


興奮はこうやって書いている今でも冷めやらない。
あの時右を見なかったら見つけていなかっただろう。
どうしてあの辻に入ったのか、それもわからない。
引き寄せられたんだろうか。疲れてぼーっとお墓の中を歩いていたから。

偶然なのか…




そうして。

都電荒川線で大塚に戻り、今度は山手線で目黒へ。

目黒には尊敬する亀谷了先生が立てた目黒寄生虫館がある。



ちょうど20年前。娘が生まれた年。

亀谷先生が書いた『寄生虫館物語』という本を読んだ。

興味本位がほとんどだった。寄生虫についての学問的興味じゃなくて、怖いもの見たさで。

そうしたら違っていた。亀谷先生の探究心と情熱、ど根性、使命感。

心を打たれた。

一つのことに打ち込んで研究する学者のことを侍(さむらい)と呼ぶ。まさに亀谷先生がそうだった。

私財をなげうち、家庭を犠牲にし、研究のためなら寄生虫を飲む。

そうやって研究を続けていると、どこからともなく協力する人が出てきて。

恵まれてるのか。それとも神さまの力添えか。

オレはこの本を読んで猛烈に感動した。

寄生虫館には見事な標本が多くある。その数と質。すばらしい。美しい。

標本が美しいとは。



ただ集めただけの標本ではない。これだけきれいに固定してあるのは愛だ。亀谷先生の寄生虫に対する愛のなせる技だ。

もう嬉しくなって、売店の女の子つかまえて、20年前に本を読んだだの、素晴らしい標本だの、亀谷先生の身内の方は研究を引きついておられるのかどうだとかだの、オレは石川県から来ただの、今考えれば売店の女の子には甚だ迷惑な客だったろう。

興奮ついでに寄生虫ストラップやキーホルダ、おみやげ5000円ぐらい使ってしまった。

後悔はしていない。



旅のBGMはサカキマンゴーさん。iPhoneでヘビロテ。

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