ダンス詣に詣出てきた

 天皇誕生日って新しくなったんだなぁって、令和3年になって気づいた。


金沢21世紀美術館シアター21に嫁さんといってきた。鈴木さんの紹介。


企画自体はパフォーマーではなく舞台スタッフとのこと。演目の合間合間にフロアをモップ掛けしていた姿が堂々としていて印象に残った。


テレビや新聞は「コロナとともに」と勇ましいことを言ってるけど、舞台や飲食、我々施術家など、人とかかわっていく仕事はみんなが参加してくれなくては成り立たない。時短営業、公演中止。これではコロナに負けてしまってるんだ。ガイドラインに沿った感染対策をしっかりして行動することこそウイズコロナ。


ダンス詣はダンスのモードとかけてるわけね。コンテンポラリーを中心にクラシックバレエがあった。これ初めて生で見た。優雅。


で、思った。伝統と革新。伝統あっての革新であって革新だけがすごいわけでないなあと。昔、ジャズミュージシャンにマイルス・デイビスという人がいた。奴隷としてアメリカにわたってきたアフリカ系黒人の末裔なんだけど、奴隷の時代に綿を積みながら歌った歌(ワークソング)や教会の讃美歌(ゴスペルソング)はアフリカのリズムが加わり楽器とともに演奏されてジャズとなった。そのジャズは当時革新だった。それがポピュラーソングやダンスミュージックとなりアメリカ全土に広がった。そして伝統となった。それを革新したのがマイルスをはじめとするミュージシャンで、ビバップとなりまたそれが発展してハードバップになった。そこにある制約から脱却してモードジャスとなり、もっと自由を、ということでフリージャズが生まれた。使える楽器の限界を感じだマイルスはシンセサイザーなどの電化製品に活路を見出した。というか自分のしたいことは従来の楽器では無理だったってことになってる。


ジャズの講義が長くなったが、伝統は伝統の良さがある。そこに何か新しいものを見出すのではなく伝統を忠実に再現しているか否かが大切となる。そしてそれを確認することで幸福な気持ちとなる。毎日お米のご飯がうまいのはそういうことなのだ。水がいいともっとうまいご飯になるように、パフォーマーが楽しく生き生きと演じてくれればなおいい。舞台狭しと飛び回り、くるくる回って喜びを表現するとき、本当に楽しい気持ちで演じてほしい。笑顔があってもいいと思う。その笑顔は見る者にとって幸せを与えてくれるのだから。


ダイアナとアクティオンという演目の詳細は私は知らない。美しくきれいでくるくる回って飛び跳ねて。悲劇を演じていたら大変失礼だが私は幸せな気持ちになった。これが伝統のすごさだと。


最初の演目、「あふれる」「ライバル」「清麗」はトップバッターとしてふさわしい若さ溢れたダンスだった。静と動、あふれとったし清らかだった。そして何をライバルとしたのだろうか。タブラのBGMは素晴らしかったが彼女は何をライバルとしたのだろか。他の二人なのか?こうやって考えるのが楽しいのだ。


「ちょっと ちがう」は本当にちょっと違ってた。ある日の鈴木さん。いつものように読書をしている。内容はきっとサスペンスだろう。ダンスで分かる。ダンサーは鈴木さんの頭の中だ。時計と時間と太陽の傾き。本のストーリーに即して緊張と緩和が繰り返される。そしてコーヒーブレイク。机や椅子、光や音にとどまらず、香りまで味方につけてしまう演出には思わずニヤリとしてしまった。このままいくとコンテンポラリーダンスは4DX(※1)に進化しそうだ。 それにしても鈴木さんの読まれる本が官能小説でなくてよかった。


「今 ここ」は詩の朗読があったがゆえに愛と時間の物語だと感じられた。ソロのダンスは大変なことなんだなあと思った。自由な代わりにたくさんの言いたいことを表現するのはすごく難しい。


北井さんの「イツニナッタラ雨はやむの。」もソロだが光とダンサーの影、静寂と躍動の対比は美しい。私は北井さんのダンスが好きだ。動きが理解できないから。動きが激しいのではなく、早いのではなく、なめらかで美しい。関節と筋肉の調和を見ているよう。アスリートの躍動感とは全然違う。今回は動きがおとなしかったので慌てて見ずに済んだ。


「ダブル・スリット」は昨今のリモート会議に象徴される、音声や画像の遅延をうまく演じていた。これももしかしたらコンテンポラリーダンス新しい表現方法になるのだろうか。


お花の流派で草月流というのがある。草や花をきれいに行けるのかと思ってたら大作と言って流木やトタン、パイプやレンガなんでも生け花の材料にしてしまう。北國花展を見に行ってびっくりしたのを思い出した。


マイルス・デイヴィスは「新しい技術を取り入れなければ音楽は変わらない。変わりたいと思うのなら取り入れるべきだし、そうしたければすればいい」(要約)と言っている。


肉体だけのダンスのあれば新しい技術を取り入れたダンスもあっていい。表現者は何を使うかではなく何を言いたいか。それが大事だと思う。


順が前後したが今回のステージで一番びっくりしたのが「cello concerto」で最初に踊った子。これほどまでに怒りを感じたのは初めて(テーマはそうでないかもしれないのだけれど私には怒りとして踊りが届いた)。圧倒された。体格に恵まれていることと体を自在に動かす技術が優れているだけでなく、内側から出る鬼気迫るものを感じた。コロナ禍で踊れることが楽しいうれしいではなくて暴力的な怒り。親ではないがお父さんとして心配になってきた。


全体を通して。選曲。パフォーマーはもっといろいろな音楽を聴いたほうがいい。若い子やクラシカルなダンスをされる方は音楽に貪欲であるべきだ。年をとればとるほどいろんな曲を聴きいろんなジャンルを知り、歌詞に左右されない音の世界を堪能できるようになる。私は歌詞は害だと思っている。世界はいろんな音楽にあふれている。その土地の民族音楽やポップス、ブライアン・イーノなんかのアンビエント系もよくダンスに使われるだろうがもっと深堀してほしい。見落としがちなのが映画音楽。最近ではハンス・ジマーなんかは素晴らしい。コンテンポラリーダンスによく合うと思う。聞いてるうちに「飛ぶ」曲をぜひ見つけてほしい。それで踊るならパフォーマーは天国に行けるだろう。


まとめ


しのぶれど 色に出にけり わが恋は


物や思ふと 人の問ふまで


ダンスや音楽も同じだと思う。


以上、好き勝手なことを書きました。ご出演された皆さん、スタッフの皆さんには失礼なことを書いたかもしれません。どうかお許しください。素晴らしいステージでした。観て聴いて考えることは楽しいことです。それを提供してくださった皆さんに感謝です。コロナ禍ではあるけれど稽古にステージに頑張ってください。機会があったらまたお邪魔します。


鍼灸なかだ治療院

院長にして楽しいことを探してる人

中田和宏


※1:新しい映画の体験システム。嵐のシーンでは客席に水が振り、風が吹き付け、映画内で雷鳴轟けば場内にフラッシュが焚かれ、爆発シーンであればうっすらと煙が出る。美女とすれ違えば、鼻腔をくすぐる香りが漂い、激しいアクションシーンでは映像に合わせて座席が揺れる。自分が映画のシーンを体感できるのが『4D』

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